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2009年8月の3件の記事

THE 効率化人間

Ken僕は子どもの頃から効率化を重んじる人間だった。
テレビで志村けんと研ナオコが競演していることさえも『志村ケンナオコ』と呼び効率化を図っていた。いわゆる時短ってやつだ。
その昔、『志村ケンナオコ』はドリフで頻繁に見ることができたため、この効率化の手法を重宝したものだった。 ※余談だが数年前見たプチシルマのCMでも『志村ケンナオコ』は健在であった。

さて、『志村ケンナオコ』『志村ケンナオコ』、そうやって呼び続け効率化を図っていたある日のこと。"名は体を表す"とは よくいったもので、あまりにそれを『志村ケンナオコ』と呼び続けていたためか、志村ケンと研ナオコの実体は、半透膜を隔てた溶液たちが互いの浸透圧を調整するがごとく、徐々に徐々に融合しはじめた。その融合はゆっくりと進行し、しばらくすると研ナオコの胴体に志村ケンの上半身が取り込まれた形を成し、終いには研ナオコの腰のあたりから志村ケンの下半身のみが生えている状態に遷移した。そのさまはちょうど射手座のケンタウルスのようであった。
私が口から発し続けた『志村ケンナオコ』という言葉。それに秘められたパワー、言霊。そういえば室町時代の人々は言霊をたいそう大事にしたと聞いたことがある。

志村と研の融合。これは幼少の頃の言霊にまつわる奇妙な体験だった。ちなみに聡明な読者なら高倉健と研ナオコについても同様の言霊現象があるように思うかもしれないが、現段階ではその実例は報告されていない。

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僕の起源

Koko邪馬台国に畿内説と九州説があるように僕にも説がある。
母親から生まれた説とダチョウの卵から孵化した説である。今のところ母親から生まれた説が有力だ。1990年代初頭に実家でへその緒が発掘されたためである。
もちろん、それ以外の少数派の説も幾つか存在する。とうもろこしの実として野原に生って(なって)いた説、そのへんにあった分子達がファンデルワールス力により勝手に結合してポンッとできた説、ミスタードーナッツのポイントを溜めて交換できた説、湾岸戦争で残された爪痕(つめあと)説などである。個人的にはキューピーちゃん説に確信めいたものはあるが真相は誰もわからない。

僕は何者だろう?僕はどこから来たのだろう?自分のルーツを探るべく、僕は僕を考古する。
ほら、今度は ヤマザキ春のパン祭りに母乳の温かみを感じ出した。

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【CoffeeBreak】2009夏の終わり

Kikuchi無念!今年も東北に深紅の大優勝旗はもたらされず。。
今年も熱い思いで甲子園を見守りました。今回に限っては記事にはせずひっそりと応援していましたが。あえて応援記事にしない方が案外優勝してしまうかもしれないという非科学的手法をとったためです。しかし、それも無意味でしたけど。

春の選抜、準優勝の花巻東はベスト4で散りました。メンバーが皆 地元出身の彼らに是非東北の歴史を変えて欲しかったですね。。。
菊池は春と比較すると調子はいまいちだったですかね。万全の状態では無かったかもしれません。しかも明豊戦でのファーストとの交錯による負傷。準決勝・中京大中京戦では中継ぎでなんとか登板したもののほとんど球種は変化球。ストレートが投げられない状況でした。敗戦後泣きじゃくる姿、なんとも可哀相でした。
菊池くん。君は僕のヒーロー・仙台育英の大越や東北高校のダルビッシュと同様に僕の心を熱くしてくれました。ありがとうございました。今は無理せず怪我の治療に専念しプロの世界で輝いて欲しいです。

新潟代表・日本文理は大健闘しましたね。9回2アウトからの5連打、5点。10-9で敗戦しましたが優勝まであと一歩、確実に新潟旋風を巻き起こしました。今まで新潟県の最高順位はベスト8。ベスト4を一気に飛び越え準優勝とは。山形の隣接県としてもちろん応援はしていましたが何とも複雑な気持ちでした。そう、ただただ新潟がうらやましい。。いつの日か山形県勢も決勝の舞台へ進んで欲しいものです。
ところで本州の日本海側地域の優勝は未だ無いのだとか。あらためて考えてみても、やはり雪国は相当なハンデを背負っているのですね。(そういえば富山県も弱小県)

今年の夏は終わってしまいましたが来年こそ東北野球の歴史を変えるチームが出てくることを期待しています。

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